上部ベイナイトから下部ベイナイトへの遷移

 

恒温変態温度がBS点より下がると、フェライト中に炭化物粒子が析出する下部ベイナイトが得られる。これに伴い、フェライトプレート間において残留オーステナイトからの析出物の量は減る。この上部ベイナイトから下部ベイナイトへの遷移は、過飽和のベイニティックフェライトの成長後に起こる急速な焼き戻しプロセスであると言える。過飽和になった炭素は、拡散によって残留オーステナイト中に吐き出される傾向にあるが、フェライト中に析出することにより、過飽和度も緩和されると考えられる。

 

典型的な鋼中において、過飽和になったフェライトプレートから炭素が拡散によってオーステナイト中に逃げるのに要する時間を1に示す。高温度側においては、拡散速度が非常に速いので、フェライト中に炭化物が析出するチャンスはなく、上部ベイナイト組織になる。その後、炭素が濃化したオーステナイトよりセメンタイトが析出する。

 

Decarburisation1 

過飽和になったフェライトプレートから炭素が拡散によってオーステナイト中に逃げるのに要する時間。 短時間側では、フェライト中に炭化物が析出することができないため上部ベイナイトが形成される。(After Takahashi and Bhadeshia, Material Science and Technology, volume 6 (1990) 592-603

 

 

 

 

 

 

 

変態温度が低下し、脱炭に要する時間が長くなると、炭素のいくらかはフェライト中に微細な炭化物として析出できるチャンスができる(残りの炭素は、やはりオーステナイト中に逃げ出し、フェライトプレート間に炭化物として析出する)。これが下部ベイナイト組織である。また、炭素の一部だけがオーステナイト中に吐き出されるので、プレート間炭化物は上部ベイナイト中のそれよりもずっと微細になる。この事実により、非常に微細な下部ベイナイト組織が、上部ベイナイトより常に強靭であることを説明できる。

 

この上部ベイナイトから下部ベイナイトへの遷移現象の結果として、高炭素鋼中においては、下部ベイナイトしか得られていないのである。つまり、拡散によってオーステナイト中に逃げ出すには拡散速度が足りず、大量の炭素がフェライト中に捕まり、結果として、フェライト中において、炭化物の析出が不可避となるだけの話である。逆に、低炭素鋼においては、パーライト変態停止温度とマルテンサイト変態開始温度間のいかなる温度においても、脱炭に要する時間が非常に短いので上部ベイナイトしか得られない。

 

また、恒温変態によって上部および下部ベイナイトの混合物を得ることもできる。つまり、最初上部ベイナイトが生成し、さらに変態が進行すると残留オーステナイト中に炭素が濃化するため、下部ベイナイトが得られるチャンスが大きくなるからだ。